2010年10月17日に中央線唯一の201系となっていたH7編成のさよなら運転「さよなら中央線201系(H7編成)ラストラン山梨 そして信州へ」が豊田→松本間にて運転されました。
この運転は、400名を募集し、食事として昼食(「さよなら中央線201 系」特製弁当)がつくものの、JR運賃・料金 (帰りの特急料金含む)+ 昼食 + 記念乗車証 + 201 系記念グッズ(201 系方向幕)で豊田発15,000円もする代物で、単純計算でJR八王子支社は単なる廃車回送を600万円に化けさせたという素晴らしい企画でした。
1960 年(昭和35 年)以降、中央線で活躍していた101 系、103 系の後継として投入された201 系は、3 代目のオレンジ色の電車として中央線の主力となり、「中央線=オレンジの電車」というイメージの浸透に大きく貢献した車両です。
1979 年(昭和54 年)に試作車が製造、1981 年(昭和56 年)から1985 年(昭和60 年)まで量産車が製造され、合計で1,018 両が製造されました。
開発に関しては1973 年(昭和48 年)のオイルショックが契機となった省エネルギー化へのニーズにこたえるために開発され、技術的にも革新的な電車でした。
中央線の201 系は青梅線、五日市線の乗り入れや地上設備の関係で10 両編成と6 両+4 両の2 種類が投入されました。乗り入れ区間については中央本線の高尾以西(大月まで)、青梅線、五日市線、八高線、さらには富士急行線にも乗り入れました。
しかし、長年の使用による老朽化、客の要望の変化、さらには安全・安定輸送のレベルアップの必要性を受けて、2010年10月14日をもって中央線快速での定時運用終了し、2006 年(平成18 年)にデビューしたE233 系にその座を完全に譲ることとなりました。
なお、中央線での運行は終了しましたが、まだ京葉線・外房線・東金線のスカイブルー(青22号)車両及び、JR西日本大阪近郊区間内での運行は今後も行われます。
私は撮りに行くことができませんでしたので、代わりに2007年6月に東京駅1番線で撮影したT124編成をアップします。
工事前の東京駅赤レンガ屋根も今や貴重な記録です。
レア度:★★★★☆
(当たり前の光景のようで、既に過去のものとなっている)
鉄道コム
私のブログに訪れていただきありがとうございました。
返信削除201系の廃車回送が600万円!!
東も運賃収入が落ち込む中、オタクの落とすお金に目を付けたんでしょうね~。おいしい商売!?
はじめましてこんばんは。
返信削除私のブログ訪問ありがとうございました。
新聞各紙一面にも出てたとおり豊田駅周辺はすごい人でした。
それに比べれば跨線橋はわりとまったりしていたようでした。
はじめまして。タカシと申します。
返信削除先日は、私のブログにコメントを残していただきまして
ありがとうございました。
当日行けなかったのは残念でしたね。
関西地区でも同じカラーの201系がありますが、
やはり長年中央線でお世話になったので
中央線から消えるのは非常に残念でなりません。