東京メトロでは定期券等に関して一部の駅で集約的に発売を行っており、現在26箇所の定期券うりばで定期券等を発売しています。現在では継続となる定期券に関しては、継続定期券発売機が設置された箇所での継続購入が可能ですが、新規となる定期券や学割定期券に関しては、定期券うりばのみの発売となっています。これら定期券等を定期券うりばのない駅から購入する場合に関しては、東京メトロの旅客営業基準第123条の定めが根拠になり、様々な切符を手に入れることができます。
旅客営業基準第123条の条文の一部を引用します。
(2) 復路
購入した定期乗車券又は一日乗車券で乗車できる場合を除き、復路の乗車を必要とする旅客については、次の様式の「購入済乗車証」を交付し、復路の乗車を認める。
交付の際、年月日及び申出駅を記入する。乗車の際入鋏し、降車の際回収する。(地色-淡桃色)
定期券等を購入後に発駅まで戻る必要がある旅客に対しては、「購入済乗車証」が交付されます。定期券発行機の機能としては任意の駅着で発行できるようになっています。切符右下には定期券うりばの場所をカタカナ2文字で表現しています。
(例)
新宿→シク
荻窪→クホ
豊洲→トス
茅場町→カハ
これを全部調べるのも面白いのですが、どなたかご存知の方がいればご教授下さい。
なお、補充式の購入済乗車証も存在するようですが、存在は確認できませんでした。
レア度:★☆☆☆☆
(いつでも手に入るが、定期券の購入が必須で趣味目的ではちょっと費用がかかる)
参考
制度系 豊洲駅発行
鉄道コム
珍しい行き先、鉄道に関するもの等について記録を残しています。 ★5つが最も珍しいという評価です。フィードURLはhttps://rail7.blogspot.com/feeds/posts/default です。
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2010年10月23日土曜日
2010年10月22日金曜日
東京メトロ丸ノ内線 中野富士見町行き1 02系幕式(平日37本運行)
東京メトロ丸ノ内線新宿駅1番線に停車中の中野富士見町行きです。
車両は02系による6両編成です。
行先方向幕は幕式です。
丸ノ内線は、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線で、池袋駅~荻窪駅間を結ぶ本線と、中野坂上駅~方南町駅間を結ぶ分岐線(通称 方南町支線)から構成されます。
通常、池袋 ~荻窪間の通し運転と、池袋 ~新宿間折り返し運転を基本としますが、朝夕と深夜には車両基地への入出庫のため池袋 ~方南町支線中野富士見町間の列車や、茗荷谷・後楽園・中野坂上始発・終着の列車が存在します。
新宿駅から中野富士見町駅行きは、7~11時台に21本、19~23時台に16本運行されており、マイナーな行き先の列車の中ではかなり簡単に見かけることができる列車になります。
前面の行先表示器については第01~12編成は字幕式でしたが、順次LED式に更新されることとなっており、字幕式での中野富士見町駅行の行き先を見ることができるのもあとわずかかもしれません。
池袋 | 8:16 | ― | ( | A857 | ) | → | 9:01① | 中野富士見町 |
レア度:☆☆☆☆☆
(1日37本も運行されている)
参考
東京メトロ丸ノ内線 中野富士見町行き1 02系幕式
東京メトロ丸ノ内線 中野富士見町行き2 02系LED
場所:
日本, 新宿駅(東京)
2010年10月21日木曜日
松本駅精算所 車急式自由席特急券
JR松本駅の自動改札機の横に精算所があり、現在日本中で常時においてはここでしか買えない車急式自由席特急券を発売しています。
「 | 号」「 | 号」共に対応しています。 |
最下段「300kmまで」が、新宿や東京、千葉、に対応しています。
400kmまで 2,520円という券片が存在するのかが現在の最大の謎となっています。
これを証明するためには「しなの号」で「京都~大阪まで」の特急券の購入を試みる必要がありますが、web上でそれを試みたという情報を見たことがありません。
レア度:★☆☆☆☆
(いつでも手に入るし、都心からも比較的近い)
参考
無人快速怪人マクハリ行 平成21年8月16日発行 0039-79
きっぷ なんでも屋さん 平成21年11月1日発行 0044-37
バスときっぷとネコ 平成22年3月13日発行 0049-67
鉄道コム
2010年10月20日水曜日
松本電気鉄道波田駅 硬券JR連絡乗車券
松本電鉄波田駅は,終点の新島々と同様、終日駅員が配置されています。出札窓口が1つ、隣接して自動券売機が1機設置されており、2010年10月10日現在、出札窓口には常備硬券が設備されています。
松本電鉄波田駅からJRへの完全常備連絡硬券乗車券はこの「東京都区内ゆき」A型硬券が唯一となっています。地紋は、BJRです。
経由欄は「松本.岡谷.三鷹」となっており、有効期間は3日間ですが、無効印のため見えにくくなっています。
レア度:★☆☆☆☆
(いつでも手に入るし、都心からも比較的近い)
参考
Abies Research / アビエス・リサーチ
きっぷ なんでも屋さん
鉄道コム
松本電鉄波田駅からJRへの完全常備連絡硬券乗車券はこの「東京都区内ゆき」A型硬券が唯一となっています。地紋は、BJRです。
経由欄は「松本.岡谷.三鷹」となっており、有効期間は3日間ですが、無効印のため見えにくくなっています。
レア度:★☆☆☆☆
(いつでも手に入るし、都心からも比較的近い)
参考
Abies Research / アビエス・リサーチ
きっぷ なんでも屋さん
鉄道コム
2010年10月19日火曜日
新宿→雪が谷大塚間の金額入力発売乗車券2
五反田駅@1発行 新宿→雪が谷大塚間のマルス券です。
経由は中央東、五反田です。
運賃内訳はJR(160円)+社(150円)=310円です。
マルス中央装置には、東急電鉄の口座が無いため、金額入力-自・社区間発売操作での発券となります。
金額入力を示す「額」印字が右下にあります。
新宿駅で発行した新宿→雪が谷大塚間のマルス券を利用した旅程途中の五反田駅で途中下車中、みどりの窓口を覗いたところ、窓口が2つあり、お客さんがいなかったので、
この使用中のマルス券を見せて
「申し訳ありませんがこれと同じものをいただけますか」
と丁重にお願いして発行してもらいました。「これと同じものをいただけますか」というお願いの仕方は楽です。
五反田駅の駅員さんは事務所に戻り3分くらいした後、ファイルを抱えて戻ってきました。
その後スムーズに購入できました。新宿駅と同じく、7分くらいかかったと思います。
120mm券なので自動改札機は利用できず、新宿駅サザンクロス口有人改札からスタンプ入鋏にて乗車。
五反田駅東急連絡有人改札ではお願いして途中下車印を押してもらったところ、昨日とは異なるゴム印でした。
さらに東急の文字の入ったスタンプ入鋏をしてもらい、雪が谷大塚で無効印をいただきました。
使用後の写真です。
レア度:★★★☆☆
(マルス発行駅で窓口が空いている時に頼まないと入手不可能)
参考
タカタカB
鉄道コム
2010年10月18日月曜日
新宿→雪が谷大塚間の金額入力発売乗車券1
新宿駅@18発行 新宿→雪が谷大塚間のマルス券です。
経由は中央東、五反田です。
運賃内訳はJR(160円)+社(150円)=310円です。
マルス中央装置には、東急電鉄の口座が無いため、金額入力-自・社区間発売操作での発券となります。
金額入力を示す「額」印字が右下にあります。
マルスの乗車券が発行できるのは、JRの駅同士での乗車券だけに限らず、JRと連絡運輸の契約を結んでいるような私鉄線・航路・バスの場合、マルスで発行することが可能です。
これらの私鉄などの会社線の駅までの連絡乗車券をマルスで発行する場合、例えば関東の場合は小田急や相鉄などの特殊な例に対しては口座登録されているために、通常の片道乗車券と同様の形式で、85mm券で着駅が私鉄駅名の切符が発行されます。
しかしマルスでの発売実績が少ないような私鉄線に対しては、駅名の情報自体はマルスシステムに登録されていても、肝心の運賃情報などが登録されていない場合もあり、マルスで連絡乗車券を発券する際には金額入力という特殊な発券操作をする必要が生じます。
この際には、JRの乗り継ぎ駅の連絡コード(大きな分厚い本を取り出してきて、手作業で探し出す必要がある)、私鉄部分の運賃・キロ程等を手入力しなければならず、操作方法も複雑なため、あまり駅員さんに好まれない切符です。
五反田駅の区間変更券が購入できないことが分かり、何か記念になる代わりのモノはないかと考え、購入に至りました。
発券に際しては、窓口が空いている時間を見計らい、
「自動券売機で購入できるのはわかっていますが、是非お願いします」
と丁重にお願いして発行してもらいました。
新宿駅の駅員さんは
「時間がかかりますよ」
とおっしゃっていましたが、
「構いません」
と答えてスムーズに購入できました。7分くらいかかったと思います。
120mm券なので自動改札機は利用できず、新宿駅西口有人改札からスタンプ入鋏にて乗車。
五反田駅ではお願いして途中下車印を押してもらい、雪が谷大塚で無効印をいただきました。
レア度:★★★☆☆
(マルス発行駅で窓口が空いている時に頼まないと入手不可能)
参考
タカタカB
JRの切符収集情報ライブラリー
鉄道コム
経由は中央東、五反田です。
運賃内訳はJR(160円)+社(150円)=310円です。
マルス中央装置には、東急電鉄の口座が無いため、金額入力-自・社区間発売操作での発券となります。
金額入力を示す「額」印字が右下にあります。
マルスの乗車券が発行できるのは、JRの駅同士での乗車券だけに限らず、JRと連絡運輸の契約を結んでいるような私鉄線・航路・バスの場合、マルスで発行することが可能です。
これらの私鉄などの会社線の駅までの連絡乗車券をマルスで発行する場合、例えば関東の場合は小田急や相鉄などの特殊な例に対しては口座登録されているために、通常の片道乗車券と同様の形式で、85mm券で着駅が私鉄駅名の切符が発行されます。
しかしマルスでの発売実績が少ないような私鉄線に対しては、駅名の情報自体はマルスシステムに登録されていても、肝心の運賃情報などが登録されていない場合もあり、マルスで連絡乗車券を発券する際には金額入力という特殊な発券操作をする必要が生じます。
この際には、JRの乗り継ぎ駅の連絡コード(大きな分厚い本を取り出してきて、手作業で探し出す必要がある)、私鉄部分の運賃・キロ程等を手入力しなければならず、操作方法も複雑なため、あまり駅員さんに好まれない切符です。
五反田駅の区間変更券が購入できないことが分かり、何か記念になる代わりのモノはないかと考え、購入に至りました。
発券に際しては、窓口が空いている時間を見計らい、
「自動券売機で購入できるのはわかっていますが、是非お願いします」
と丁重にお願いして発行してもらいました。
新宿駅の駅員さんは
「時間がかかりますよ」
とおっしゃっていましたが、
「構いません」
と答えてスムーズに購入できました。7分くらいかかったと思います。
120mm券なので自動改札機は利用できず、新宿駅西口有人改札からスタンプ入鋏にて乗車。
五反田駅ではお願いして途中下車印を押してもらい、雪が谷大塚で無効印をいただきました。
レア度:★★★☆☆
(マルス発行駅で窓口が空いている時に頼まないと入手不可能)
参考
タカタカB
JRの切符収集情報ライブラリー
鉄道コム
2010年10月17日日曜日
201系H7編成 さよなら運転
2010年10月17日に中央線唯一の201系となっていたH7編成のさよなら運転「さよなら中央線201系(H7編成)ラストラン山梨 そして信州へ」が豊田→松本間にて運転されました。
この運転は、400名を募集し、食事として昼食(「さよなら中央線201 系」特製弁当)がつくものの、JR運賃・料金 (帰りの特急料金含む)+ 昼食 + 記念乗車証 + 201 系記念グッズ(201 系方向幕)で豊田発15,000円もする代物で、単純計算でJR八王子支社は単なる廃車回送を600万円に化けさせたという素晴らしい企画でした。
1960 年(昭和35 年)以降、中央線で活躍していた101 系、103 系の後継として投入された201 系は、3 代目のオレンジ色の電車として中央線の主力となり、「中央線=オレンジの電車」というイメージの浸透に大きく貢献した車両です。
1979 年(昭和54 年)に試作車が製造、1981 年(昭和56 年)から1985 年(昭和60 年)まで量産車が製造され、合計で1,018 両が製造されました。
開発に関しては1973 年(昭和48 年)のオイルショックが契機となった省エネルギー化へのニーズにこたえるために開発され、技術的にも革新的な電車でした。
中央線の201 系は青梅線、五日市線の乗り入れや地上設備の関係で10 両編成と6 両+4 両の2 種類が投入されました。乗り入れ区間については中央本線の高尾以西(大月まで)、青梅線、五日市線、八高線、さらには富士急行線にも乗り入れました。
しかし、長年の使用による老朽化、客の要望の変化、さらには安全・安定輸送のレベルアップの必要性を受けて、2010年10月14日をもって中央線快速での定時運用終了し、2006 年(平成18 年)にデビューしたE233 系にその座を完全に譲ることとなりました。
なお、中央線での運行は終了しましたが、まだ京葉線・外房線・東金線のスカイブルー(青22号)車両及び、JR西日本大阪近郊区間内での運行は今後も行われます。
私は撮りに行くことができませんでしたので、代わりに2007年6月に東京駅1番線で撮影したT124編成をアップします。
工事前の東京駅赤レンガ屋根も今や貴重な記録です。
レア度:★★★★☆
(当たり前の光景のようで、既に過去のものとなっている)
鉄道コム
この運転は、400名を募集し、食事として昼食(「さよなら中央線201 系」特製弁当)がつくものの、JR運賃・料金 (帰りの特急料金含む)+ 昼食 + 記念乗車証 + 201 系記念グッズ(201 系方向幕)で豊田発15,000円もする代物で、単純計算でJR八王子支社は単なる廃車回送を600万円に化けさせたという素晴らしい企画でした。
1960 年(昭和35 年)以降、中央線で活躍していた101 系、103 系の後継として投入された201 系は、3 代目のオレンジ色の電車として中央線の主力となり、「中央線=オレンジの電車」というイメージの浸透に大きく貢献した車両です。
1979 年(昭和54 年)に試作車が製造、1981 年(昭和56 年)から1985 年(昭和60 年)まで量産車が製造され、合計で1,018 両が製造されました。
開発に関しては1973 年(昭和48 年)のオイルショックが契機となった省エネルギー化へのニーズにこたえるために開発され、技術的にも革新的な電車でした。
中央線の201 系は青梅線、五日市線の乗り入れや地上設備の関係で10 両編成と6 両+4 両の2 種類が投入されました。乗り入れ区間については中央本線の高尾以西(大月まで)、青梅線、五日市線、八高線、さらには富士急行線にも乗り入れました。
しかし、長年の使用による老朽化、客の要望の変化、さらには安全・安定輸送のレベルアップの必要性を受けて、2010年10月14日をもって中央線快速での定時運用終了し、2006 年(平成18 年)にデビューしたE233 系にその座を完全に譲ることとなりました。
なお、中央線での運行は終了しましたが、まだ京葉線・外房線・東金線のスカイブルー(青22号)車両及び、JR西日本大阪近郊区間内での運行は今後も行われます。
私は撮りに行くことができませんでしたので、代わりに2007年6月に東京駅1番線で撮影したT124編成をアップします。
工事前の東京駅赤レンガ屋根も今や貴重な記録です。
レア度:★★★★☆
(当たり前の光景のようで、既に過去のものとなっている)
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